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イラストを描く上で人体デッサンは不要なのか?

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Youtubeで「いくら人体デッサンをやっても絵は上手くならない」というサムネをよく見るようになった。Youtuberに影響されてかTwitterでも、同じような主張のツイートが多くなってきたように感じる。「人体デッサン無駄」論に関連して思ったことがあったので、残したいと思う。

人体デッサンは本当に「無駄」なのか?

「いくら人体デッサンをやっても絵は上手くならない」の本当に意味する所とは、人体デッサンという「練習方法自体に効果がない」という意味では、もちろん無い。
人体デッサンの練習が必要なほどの絵の初心者は、自分に必要な技術を取捨選択できないという課題を抱えている。その結果、人体デッサンで幾らかの技術を会得したとしても、実際に作品作りをすると、会得した技術は必要ではなく、結果「いくら人体デッサンをやっても絵が上手くならない」という結果になってしまう。つまり、問題の本質は「人体デッサンという練習方法自体に効果がない事」ではなく、「初心者が自分に必要な技術を取捨選択できない事」にある。
また「人体デッサン無駄論」が展開される時は、暗黙の了解として「キャラクターイラストの1枚絵を描く事」を前提としている場合が多い。つまり、キャラクターが主題の1枚絵以外を描く人にとっては、人体デッサンが必要になる場合が、当然出てくる。
例えば、キャラクターデザイナーは、一定の人体デッサン力を求められる場合があるだろう。また、絵を一種のスポーツのように捉えている人にとっては、作品作りが目的では無く、筋トレのように、模写力を鍛える事自体が目的の人もいるだろう。そのため、人体デッサンを毎日行っている人に対して、「お前のやってることは無駄」と言っても、そもそもの前提が異なるため、ナンセンスなのだ。
人体デッサン練習は、必要か無駄か、という0か1かの話ではない。その人によって必要な割合は変わるし、必要だっとしてもどの分野が必要かも変わってくる。

人体デッサンより大事な事

人体デッサン力はあるに越したことはないが、もっと大事な事がある。それは、美的感覚と演出力だと、私は考えている。例えば、いくら人体を正確に描けたとしても、間抜けに立っている人物を描いては、魅力的なイラストになるとは言い難い。

また、手の仕草1つ取っても、指先の演技のわずかな差で印象が大きく異なる。

作品としての魅力を上げるには、「所作」「ポージング」「体型のプロポーション」等の美的感覚や、「表情作り」「レイアウト」「フレーミング」等の演出力が求められる。

デッサンモデルは、ファッションモデルではない。そのため、体型プロポーションが美しいとは限らない。また、人体デッサンの練習では、表情作りやフレーミングは学べない。
「いくら人体デッサンをやっても絵は上手くならない」と言われるのは、人体デッサンでは美的感覚や演出力が鍛えられず、1枚絵としての魅力に欠ける事が原因だろう。
自分が魅力的に感じる物について、顔の造形、表情、仕草、ポージング、レイアウト、フレーミングなど、要素に分解して、「何の」「どこが」「どんな風に」魅力を感じているのか理解した時、ようやく初めて人体デッサンで何を学ぶべきか、取捨選択できるようになるのではないかと思う。

  • この記事を書いた人

森武絵辰

福岡生まれ福岡育ち。布団と小説が、三度の飯より好き。

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